神さまは,信じられる世界など作ってくれてはいない。恋人も,両親も,世界も,そして自分も,信じるには足りない。その,信じられないということを信じることは,実はなによりも大切である。
quote:ここ数日の夜,月はこの20年でもっとも大きくみえている。これは世界最大の錯覚とミステリーのひとつである。月は天高くにあるときより,地平線近くにあるときの方が大きくみえるが,NASAもその理由を説明することができていない。この現象,ムーン・イリュージョンの神秘は,何世紀もの間,偉大な思想家たちを当惑させてきた。
確かに,沈みかけの月は大きくみえる。太陽も同じだ。もちろん実際に月や太陽の大きさが変わるわけはないのだから,なんらかの目の錯覚なのだろう。記事中にあるが,天上にある月に手を伸ばしてコインを掲げ,ちょうど月と同じ大きさのコインの位置をおぼえる。月が沈みかけて大きくみえるときに,顔から同じ位置にコインを置いて月をみると,同じ大きさなんだそうだ。つまり,月の大きさは変わっていない。大きく_みえていた_だけなんだ。
自分の目でみたからと云って,それが正しいとは限らない。もちろんいまは,映像も画像もコンピュータでいくらでも加工ができるから,いくらでもうそや偽物は作れるが,そうでなく,自分の目でみている目の前のことでも,それが真実であるとは限らない。なにも信じられるものがない世界にいることは,人をとても不安にさせる。だから人は,安心を得るためだけに,信じることを信じて生きる。だが,信じることを信じたからと云って,信じられないものであることに変わりはない。信じることを信じるか,もう最初から信じられないってことを忘れて生きてしまうか,どちらかが楽に生きる方法だ。だが,苦しくとも,路頭に迷おうとも,信じられないことを受け止めて生きることもできる。そしてそれが,もっとも,「生きる」ことには近い。
|